急にまた見たくなってナポリ山脈リプレイを見てた…やっぱ最高だな~~~八木山さんが好きすぎる…
そして急にめちゃくちゃ語る↓主に志海と八木山について
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八木山と志海の対比や奇妙な?友情いいんだよな…志海は別に友達とは思ってなさそうだけど…。二人とも元の生活圏で出会っていたら絶対友達にはならなそうな二人なとこが良い。
志海は友人の死について、表層的には別になんとも思わないなぁと思っていたというか、そもそもが他人に対してあれこれ感じること自体が煩わしいタイプだったんだとして、それ故に自らの感情に向き合うことが無く、友人の死という事象の存在感が無意識下で肥大していることを無視して、ただただ突き動かされるみたいに登山に没頭していったみたいな…感じなのかな。危険の中、一瞬だけ強烈に体感できる生の実感を追い求めることで友人の死と向き合うことを避けているようにも見える。固執か逃避か。それこそ他者の存在が、自分の心の中で小さくない範囲を占めていること、それを認めること自体が不愉快で耐え難いことだったのかもしれない。他人のことでぐだぐだするなんてナンセンス、自分にそんな感傷があるわけないじゃない、と捨て置いていた感じ。
…とか色々書いてみたけど、よくわかんないな…志海は自分のことは何も語らないくせに、人のこととなると一番嫌なことピンポイントで言ってきそうなイメージある。
八木山さんは、心配性ながら自らの心に人を招き入れることが出来る、不眠症で一番メンタル大丈夫?って雰囲気なのに実際は人を信じられる強さがあるのが、ギャップがあっていいよね…。泣き虫だろうけど、そんな自分の情緒と長年付き合っているので心の揺れに慣れている。内省的で、向き合うことができる。そんな対照的な二人が奇跡的に…というか、設定の時点ではここまで対照的なイメージでもなかったんだと思うと、本当にあの流れの鮮烈さが際立ってくるね…
初めは七浦を、次は志海を探しに行く八木山さんは、平穏を求めていて振り回されたくないのに、自分の性質によりそれから逃れることができない。七浦と八木山は信頼関係があったんだろうなという感じなんだけど、志海に関しては、志海が何を考えているのか知りたいというか確かめたいというか…理解できないが故に放っておけないというか…そんな感じがある。
志海はなんでこの人こんなに他人に入れ込めるの?やべー、て感じで思ってそうなんだけど、もしかしたら、やたら踏み込んで心配してくる姿に「友人」の面影を感じてしまい、それ故に若干うぜ~~と思ってる可能性はある………一番お互いにお互いのことがわからない、お互い何なのこの人と思ってるのが良い
てかね…結局のところ志海さんの終わり方が、落下ダメでロストとか決定的なものではなくてHPはあるまま気絶して山に飲み込まれていくっていうのがすごすぎるよね…目の前でロストしていれば、八木山はもうわざわざあの山に登る理由は無かったのに。すごい長くなっちゃった…まるで今日初めて見たかのような熱量で…。それにしてもNPCとこんな仲良くなるとかあるもんなのかな。コージーオスコーの愛らしさを最大限に引き出してるでしょあれ…
(全て妄想です)